いのちの授業

昨日、日野原重明さんが105歳でお亡くなりになられました。

 

私は約10年程前に「致知」という雑誌を購読していました。

留学のタイミングで購読を止めてしまってそのままになっているのは私の悪い癖かもしれません・・・

 

その雑誌の中で、頻繁に日野原先生の記事が上がっていたのを覚えています。

その中でも1番記憶に残っているのは「いのちの授業」という内容の記事でした。

 

日野原先生が近くの小学校の3粘性のクラスに行った時のお話しでした。

 

日野原先生が、生徒に向かって「いのちはどこにありますか?」と聞くと、全員が左胸を触ったそうです。日野原先生は「そこにあるのは心臓であっていのちではありません。」と答えました。続けて、「いのちは目に見えないものなのです。世の中には愛だったり心だったりと目に見えないものがたくさんあります。そういった目に見えない形ないモノほど大事なんです。」とお話しされたそうです。

 

私もそうですが、形無いモノを形にして表現しようとする事が多々あります。

お祝い事にはプレゼントを送ったり、日ごろの感謝の気持ちを手紙に綴ったりと目に見えない気持ちや相手に伝わりづらい思いは形に変えていると思います。

決してそれ自体は悪い事でも無ければ、当然に素晴らしい事だと思います。

 

しかし、その目に見えるモノに流されて、本当に大事なモノを見失ってしまい、さしては、見ようともしていない事があると思います。

 

目に見えないもの見ようとする心、目に見えないものを大事にしようとする心が、いのちを人を全てを大切にする心なんだと思いました。

 

日野原先生からは雑誌という媒体を通じてではありましたが、沢山の事を勉強させて頂きました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

日野原先生のご冥福お祈り申し上げます。